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​支え、支え合う
庵我を目指して

​ようこそ、あんがいいいあんがへ

いずれの御(おん)ときにか、我ここに庵を結ぶとして住み始めた我が故郷の庵我は、福知山市の東方に烏ケ岳と鬼ケ城の秀麗を頂き、西側に普段は清らかな由良川が流れる南北4キロの半円状に位置する自然豊かな地域です。  この地に、北から筈巻区、安井、池部、中、中村団地、下猪崎、城山、そして猪崎区の8集落に約2千人が助け合いながら仲良く暮らしており、庵我史誌によりますと、この山河の感化によって住民は明朗快活、容易に愚痴をこぼさず意地悪をしない人が多いとのことです。 ​ 庵我の歴史は、普段は静かな流れの由良川が時に暴れ川となって地域に洪水を引き起こし甚大な被害を被ってきたことから、米作中心ではありましたが副業として洪水にも負けない桑の木の植栽によって養蚕が盛んに営まれるようになり住民の生活を支えてきました。  また洪水対策として、昭和50年代から上流に位置する猪崎から下流の筈巻までの由良川右岸に堤防を構築することが全住民の悲願であり、地域代表を議会に送りながら粘り強く国などの行政に要望を重ねた結果、ようやく最近になって堤防の完成と住宅の嵩上げが完了しました。  そんな中で最近になって気が付いたら家の周りに空き家が増え、地域においては子どもの数が減少するなど、地域全体に活気が無くなっているように思います。  この間、各区の住民の皆さんや地域を代表する団体さんに色々ご意見をお伺いしたところ住民の気持ちは全然後ろ向きでなく、今こそ庵我を再び活性化するために出来ることをみんなでやって行こうという強い気持ちが表明されました。  若者が地域でやりたいことを応援したい、また高齢者の困りごとの相談や支援をきめ細かくやっていきたい、そして都会へ出ている子どもや孫たちのUターン、新たな若者のIターンを促して空き家を無くし活性化に繋げたいなどなど、色々やりたいことがいっぱいあります  今こそ先人が我ここに庵を結ぶとした庵我の結(ゆい)を皆で結び直し、新たな絆を確かなものにしたいと思います。さあ、庵我住民みんなで立ち上がりましょう! ​ ​​委員長 大嶋哲朗

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